プロ野球・楽天の守護神・松井裕樹投手が、プロ野球界で9人目となる通算200セーブに到達した。かつて共に濃密な時間を過ごした恩師や仲間たちは、「あの頃」と変わらぬ素顔を見せる若き左腕が、史上最年少の27歳5カ月で打ち立てた大記録に温かな祝意を送る。
「愛されキャラ」として定着
松井投手の人柄がにじみ出る一コマがある。最終回に登板して試合に勝利し、ベンチ前で仲間たちに迎えられた直後のこと。決まってその様子を撮影しているカメラを探し、手のひらでレンズを「攻撃」する。マウンド上で見せる鬼気迫る表情とは対照的に、時折見せる人なつっこい言動は「愛されキャラ」としてチームやファンの間で定着している。
「昔からおちゃめで、元気なやつでしたよ」。中学、高校時代に同級生で、捕手として松井投手とバッテリーを組んでいた鈴木航介さん(27)は小学6年の頃、初めて投球を受けたときの衝撃を今でも忘れない。「球が速すぎて、捕ることすらできなかったです」。中学時代は同じ青葉緑東シニア(神奈川)で全国優勝の喜びを分かち合い、桐光学園高(同)でも18・44メートルの距離を挟んで常に向き合い続けた。
松井投手が全国区に駆け上がったのが、2年生エースとしてマウンドに立った2012年夏の甲子園だ。今治西(愛媛)との1回戦で、大会史上最多の1試合22奪三振を達成した。控え捕手としてベンチ入りしていた鈴木さんは「試合に調子を合わせる能力が高く、あの日は試合前から絶好調でした。たまたま生まれた記録ではないと思います」と振り返る。
高校まではエースとして先発マウンドが定位置だった松井投手だが、抑えに抜てきされたプロ入り2年目から3年連続30セーブ以上を記録し、今や球界を代表するストッパーの一人に。昨季もセーブ王を獲得し、日本が世界一に輝いた今春のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも日本代表に選ばれた。「初めの頃は意外な気持ちで見ていた」という鈴木さんは「彼の努力と、抑えの適正を見抜いた指導者の目がどれほどすごいか感じます」と驚く。
一方、「守護神・松井」の役割を「適任」と語るのは、幼い頃から一番近くで見てきた弟の和輝さん(25)だ。理由は「抑え投手に絶対必要な三振を奪う能力が突出していた」という野球の実力だけではない。「小さい頃は、野球のテレビゲームすら負けると不機嫌になっていました」。今も昔も変わらない「負けん気の強さ」が、抑えとしての武器になっていると感じている。
自身は昨季限りで社会人野球チームを退き、兄の背中を追って始めた選手生活に一区切りつけた。200セーブの節目に際して「僕の人生は兄を抜きには語れない。『おめでとう』より先に『ありがとう』を伝えたい」と祝福する。
「一人でできることじゃない」
プロ野球界で華々しく活躍しても、連絡を取り合えば高校時代と変わらない友人の「松井裕樹」がそこにいる。誕生日が1日違いの松井投手と鈴木さんは、2日連続で互いにお祝いのメッセージを送るのが毎年恒例だ。
鈴木さんは抑えを務めるようになった松井投手の「変化」に気付いた。「連絡を取り合う中で、周囲への感謝の言葉が今まで以上に増えましたね」。自分の投球で試合展開が大きく変わる先発とはひと味違い、仲間がリードしてくれなければ登板機会も回ってこない役回り。僅差のしびれる展開で、一つのアウトを取る難しさを知った境地が、仲間への感謝につながっているようだ。
松井投手本人は取材に対して「年々周りが見えてきて、選手以外も含めていろんな方がサポートしてくれている。(抑えの役割は)一人でできることじゃないと感じる」と心境の変化を語る。
投球内容にも「変化」がある。高校時代は切れ味鋭いスライダーで名をはせた松井投手だが、中学時代に指導した青葉緑東シニアの中丸敬治監督(71)は「当時はカーブが一級品で、スライダーは投げませんでした」と言う。
「投球フォームがきれいでした。何より肘から先の感性がよかったので、ボールを自分の思った通り操るのが上手だった」。中丸監督がそう振り返る投球スタイルは、高校時代からさらに進化を遂げた。今ではスライダー頼みではなく、チェンジアップなど落ちるボールも駆使して幅を広げている。
「彼が登板する時はハラハラして、見られません」と苦笑する中丸監督。「先輩にかわいがってもらえる人柄が、記録達成につながったんじゃないですかね」と親心をのぞかせ、「記録も大事だけど、けがをせず一日でも長く現役を続けてほしい」。さらなる飛躍の可能性を秘める若き守護神を見守っている。【川村咲平】
楽天の松井裕樹、史上最年少200セーブ 守護神としての変化と進化 - 毎日新聞
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