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背番号は時に選手の代名詞として語られるなど、アスリートにとって大きな意味を持つことも少なくない。ここではカープの選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。 【写真】旧広島市民球場の『カープうどん』売り場。この薄暗い感じが妙に懐かしい
大まかな傾向として、50番台の背番号はドラフト下位指名選手やドラフト外での入団選手に与えられることが多い。そこから頭角を現した選手はもっと若い番号に移行し、実力を発揮できなかった場合はそのまま退団、引退ということもある(もちろん例外も多々ある)。カープの50番台も同様の傾向があるが、今回取り上げる『58』にはもう一つの流れもある。 まずは2005年から『58』を背負う小島紳二郎。2004年のドラフトでカープから5巡目指名を受けて入団した小島は、1年目の8月にプロ初登板を初先発で飾る。貴重な左腕として翌2006年も4試合に先発するが、プロ初勝利はならなかった。 2007年からは「小島心二郎」に改名、投球フォームをサイドスローに変更するなど試行錯誤を繰り返したが、結果を残すことはできず2010年オフに菊地原毅との交換トレードでオリックスに移籍した。◆抜群の安定感で“逆転のカープ”を演出 その小島の後から、前述の“もう一つの流れ”が始まる。それは「外国人助っ人の背番号」だ。その始まりとなったのが、(実は小島の前、2004年途中に入団し同シーズン限りで退団したマーク・ワトソンもいるが……)小島の後に『58』を背負ったデニス・サファテ。2010年オフにカープと契約し、初年度からクローザーとしての働きを見せたサファテは、夏場には球団所属の外国人投手の最多記録を更新する25セーブ目をマークしている。 この年、最終的には35セーブを記録する活躍を見せ、翌2012年もクローザーとして活躍が期待されたが、一転不調に陥った。同年入団したキャム・ミコライオと入れ替わる形でセットアッパーに配置転換されるも、結局はこの年限りで自由契約となり、西武へと移籍した。 サファテの名を不動のものにしたのが、2014年からのソフトバンク時代だ。1年目から37セーブを挙げると、翌2015年から3年連続で最多セーブのタイトルを獲得(2017年の54セーブはシーズン最多セーブ記録)。だが2018年の開幕直後に股関節を故障し、そこからは長らくマウンドから遠ざかっている。一時はカープで活躍した選手だけに、その去就が気になるところだ。 サファテが2シーズンでカープを去った後、『58』はミゲル・ソコロビッチ、ザック・フィリップス、マイク・ザガースキーと外国人助っ人が1年ごとに着けては退団、あるいは移籍という状態が続いたが、それを止めたのが2016年からプレーし、リーグ3連覇の立役者の一人となったジェイ・ジャクソンだ。 2016年3月に来日初登板を果たしたジャクソンは、無失点で初ホールドを記録。勝利の方程式の一角に名を連ね、抜群の安定感で“逆転のカープ”を演出した。 シーズンの大半で8回のマウンドを担い、リーグ2位となる37ホールドを記録。翌年も同じくセットアッパーとして機能し、2年連続で60試合以上の登板数を記録した。2018年は調子を落としつつも48試合には登板したが、この年限りで退団。人懐っこい笑顔でも人気を得た選手だった。
後のシーズン最多セーブ王も着用。個性派助っ人から令和の黎來まで【カープ背番号の系譜】(広島アスリートマガジン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース
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